声量じゃなくて、権力的な話で。
対外的な、影響力の話です。政治家の方とか、名士の方とか、経営者の方とか。現代ならSNS上のインフルエンサーの皆さん?ともかく、世間での声の大きい人は、そんな感じのイメージですよね。
でも例えば、市区役所の出す文書や資料も、かなり影響力があります。人格はないけれど、かなり「声の大きい」存在です。行政文書が拠って立つ価値観や指向は、「今この街が目指している方向」や「この街を構成する人たちの考え」が反映されているはずです。
さて、12月から、福島県白河市の総合計画審議委員を仰せつかっています。すでに3回の議論の場があり、平成30年度以降5年間の白河市行政の総合計画を改善するための意見を話し合っています。
総合計画(そうごうけいかく)は、地方自治体が策定する自治体のすべての計画の基本となる、行政運営の総合的な指針となる計画。
この総合計画、必ずしも策定する義務が地方自治体に課されている訳ではありません。また、策定改訂したから職員や首長に義務が生じる訳でもありません。この策定とその改訂作業を行うことは、それだけで体力のいる仕事。策定に取り組むだけで、向こう5年間も目標値を持った、計画的な行政運営をしようとする姿勢の表明とも取れます。えらい。
しかも、審議会という市民からの声を反映させてくれる場所まである。そんな貴重な機会を提供していただいたので、いくつかの意見を発言させていただきました。
印象に残った3つの提案。
ここで、自分自身で印象に残っている発言のうち、特に3つを書きだしてみます。
- 教育における成果指標のうち、「不登校児童の割合の低下」を目指すことをやめて欲しい。
- 人権尊重の文脈で、「LGBT」に言及できないか。
- 結婚子育て支援の文脈で、賃金等の理由で結婚できない若年層に言及できないか。
①の提案は、この文書の影響力を考えたものです。この成果指標を基礎自治体が掲げることは、《不登校=悪/登校=善》という価値観を表明すること。不登校のあるなしに関わらず、市内に暮らすすべての児童が不安や恐怖などから逃れ、学び成長する権利があります。たとえ一時的でも、不登校を望む児童にとっては、学校空間が、不安や恐怖の源泉かもしれません。そのような状況にあってこの指標は、現場の教職員が愚直に指標を鑑みた先に、児童や家庭から「通わなくても良い」選択肢が奪われる事態が予想されます。言い換えれば、子どもの学び成長する権利を確保するという業務目的が、逆転しかねない成果指標です。政府も批准する、国連の条約にも適合的と考えます。
②の提案も、この文書が市内外に配布されることを前提にした提案です。この文書はあくまで計画であって、文言が挿入されたからといって、積極的な政策が立案されるかどうかはわかりません。しかし、「この街は多様性を重視します」「たとえあなたが少数者であっても、この街はあなたを守ります」そういうメッセージを孕むことで、いや、孕むだけで、この街のどこかにいる誰かへ、助け舟になるかもしれない。そういう希望を込めました。渋谷区かっこいいよね。
③の提案は、若者らしい提案として。「結婚っていいものだよ〜!」というメッセージを、政策や広告、あるいはコミュニティから、若者は受け取ります。それ自体は悪いこととは思いませんが、結婚できない(結婚しない)人が社会にいるのも事実です。結婚できない人にとっては、婚後や産後の支援メニューも、むなしく映るだけ。若年層の賃金はまだまだ低く、結婚したくてもできない人がいることは、同世代だからこそよくわかります。結婚の支援でもっとも多いリクエストは、多くの若者が安心して暮らせる就労環境への支援です。仕事とお金の不安が小さくなったその先に、結婚が見えてくる。結婚”できている”人だけへの支援では、少子化傾向は簡単には変わりません。
◎ 「
少子化施策利用者意向調査の構築に向けた調査」
内閣府 2009年
●結婚に関する支援の要望としては、「支援は必要ない」(29.6%)が最も多く、次いで「就労支援」(21.4%)、「出会いの場の提供」(20.4%)の他、「働き方見直しのための支援」(19.6%)も多くなっています(2.4 結婚に関する支援, P82)。
第2号 | ワーク・ライフ・バランス| 内閣府男女共同参画局
やりとりの結果、①〜③のうち、すでに計画に反映させていただく予定のものとして③があります。子育て支援の文脈に、結婚の有無に関わらず働く若者たちの立場を見据えた文言(男女の若年層のワークライフバランスを推進すること)を挿入していただけるそうです。①②にどんなレスポンスが来るのかは、担当課からの返答まちです。
この世界の片隅で。
「声の大きな人」のひとつである行政という仮想人格。大きいからこそ、影響を受けるすべての人を想定して欲しい。人々から選択肢を奪うのではなく、選択肢を提示するものであって欲しいと思います。
同時に、私自身も「声の大きな人」として。今回審議委員に呼んでいただいたのはたまたま(というか若輩に末席を汚させていただいて恐縮)なのですが、それでも6万人の市民のうち、審議委員は10人にも満たない。声にできるチャンスのある人は、議論を起こすことが求められているように思います。
私が住みやすい街は、きっと次の誰かが住みやすい街。それは次の世代かもしれないし、次の移住者かもしれないです。声の大きな人は、小さな声を聞いて大きくしゃべろう。そんな気持ちの今日のブログでした。
(うちのカフェの庭は最近こんな感じです)