空き地を探す

福島白河にあるカフェの室長ブログ

専用道路を走るバス路線・白棚線沿線の情報誌「はくほ」に記事を書きました

専用道路を走るバス路線・白棚線沿線の情報誌「はくほ」に記事を書きました。

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福島県白河市から棚倉町にかけて、JRバス関東が運行するバス路線「白棚線」があります。その沿線情報誌が「はくほ」です。

ざっくり紹介、白棚線とは

白棚線とは東北本線白河駅から、水郡線磐城棚倉駅までをおおよそ1時間で結びます。 路線沿線情報(福島県 白河(新白河)・棚倉) | ジェイアールバス関東

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JRバス関東ウェブサイトより引用

この路線の珍しい特徴は、白棚線の路線バスだけが走れる「バス専用道路」があること。

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舗装された自動車一台分の幅の道路を、バスがすいすい進んでいきます。

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フロントガラスの向こうの道路が、まっすぐ伸びているのが見えます。

この最大の特徴のワケは、第二次世界大戦の戦中期に、当時国鉄が運営する鉄道路線だった白棚線が、不要不急線に指定されたこと。

不要不急線(ふようふきゅうせん、不要不急路線とも)とは、日中戦争から太平洋戦争に向かう最中の1941年(昭和16年)8月30日以降に、政府の命令により線路を撤去された鉄道路線のことである。その目的は勅令第970号(改正陸運統制令)による重要路線への資材転用、もしくは勅令第835号(金属類回収令)による武器生産に必要な金属供出であった。

不要不急線 - Wikipedia より

戦争継続に必要な鉄資源として、主に地方のローカル線の線路が着目され、指定路線のレールが供出されてしまいました。

戦後になっても、もう一度白棚線にレールは戻って来ませんでした。しかし、東白川郡棚倉町から、西白河郡表郷村、白河市をつなぐルートの需要は高く、線路のあったルートを専用道路として、バス路線として復活したのでした。

専用道路があったり、バス路線なのに「線」と名称がついていたり、白棚線が横断する白河市表郷地区の住民のみなさんはバス停を「駅」と呼んでいたり・・・白棚線を紹介するにはいくつも面白いエピソードがあるのですが、ひとまずレールがなくなっても復活して地域の人を運んでいるバス路線!と覚えていただければいいかなと。

専用道路は1本道で、林を切り通した道を抜けたり、田んぼのど真ん中を走り抜けたり、バスの高い目線で専用道路を走るのは爽快感があります。白河・棚倉まで、乗りに来てくださったら嬉しいなあ。

白棚線沿線情報誌「はくほ」とは

そんな白棚線ですが、特に白河市表郷地区においては、中心的な公共交通機関として、特に地域にとって欠かせない存在になっています。

その表郷地区にあるNPO法人表郷ボランティアネットワークが中心になって発行しているのが「はくほ」です。

omotego.wixsite.com

 

このたび情報誌「 はくほ」を発行することになりました。
白河市から表郷地区、そして棚倉町へ、またその反対に棚倉町から白河市へと地域の足となって汽車の時代からバスの時代へと活躍してきた、日本で唯一のバス専用高速道路がある JR バス白棚(はくほう)線。
この機会に地元地域などの情報を踏まえた白棚線のちょい旅を楽しんでみませんか?もしかすると・・・・。
どうぞよろしくお願いいたします。

「はくほ」創刊のごあいさつ 

https://docs.wixstatic.com/ugd/0c7c19_cc46c7d0debe40248654fdf545e6c82c.pdf

理事長の謙遜気味のご挨拶で紹介されていますが(笑)、白河市・表郷地区・棚倉町のバス沿線の旬な情報を、発信してくれるフリーペーパーです。

地域のだるまやさんが紹介されていたり(2018冬 NO.5)、

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ラーメン屋さんが紹介されていたりします。(2017夏 創刊号)

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私の記事はこちら「沿線レトロスペクティブ vol.5 南湖公園編」

で、私もささやかながら記事を連載しておりまして、毎回、沿線で見つけたレトロな物件や看板、近代の歴史に埋もれたエピソードなんかを聞いて回って書き起こしたりしています。

今回の2018冬に発行された「はくほ vol.5」では、南湖公園バス停からほど近いカメラ屋さん「オリオン」さんにお話を聞きました。

白河のアイスキャンデーやである野村屋さんから、昔のネガケースを見せてもらったのがきっかけで、白河駅前と南湖公園と、どちらも白棚線で営業してこられたオリオンさんのお話を聞こうと考えたからでした。

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記事は表郷ボランティアネットワークのウェブサイトからPDFで読めますので、ぜひみなさまぜひ読んでみてください。

記事には書ききれなかったのですが、「オリオン」さんを切り盛りするお姉さんのカメラ屋さん的青春時代やバブル時代のお話が面白かったです。子どもの頃から仕事を手伝わされたけど、先代は現像は子どもにはさせなかったとか、富士フィルムが接待でディズニーランドに連れてくれていった時代の話とか。人に会いに行きたい、カメラ屋さん「オリオン」さんです。

vol.5には、沿線にある冬に行きたいおでんやさんの記事もあります。ぜひどうぞ〜。

omotego.wixsite.com

2018年の終わりに - 代表青砥より御礼の言葉

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こんにちは。コミュニティ・カフェ EMANONを運営する(一社)未来の準備室 理事長の青砥と申します。(高校生からはふつう、”しつちょう”と呼ばれています。)

12月29日の交流パーティをもって、2018年内のコミュニティ・カフェ EMANONの営業・事業を終了しました。1年を通じて、カフェの事業にご協力、またカフェを楽しく豊かにご利用いただいたすべての皆様に、感謝いたします。上記の写真は、白河市フラワーショップいくたさんに作っていただいたホリデーシーズンの飾り物です。みなさまの次の1年が、幸せであるようにお祈りしております。

さて、EMANONのことを少し、お礼も兼ねて思い起こさせていただければと思い、ここに2018年のことを少し書きます。思えば2018年は、新しく、区切りの多い1年でした。

まず、EMANONのリノベーション作業をともに行なった、当時1年生だった高校生たち。彼ら・彼女らがついに進学・就職の時期を迎えました。

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その分、新しい高校生との出会いも多くあった1年でしたが、新春から春本番にかけては、その集大成とも言える出来事が、偶然にもいくつか重なったことが印象的な1年間でした。

1つは、内堀雅雄福島県知事の訪問です。

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  • <地域課題:大学をはじめとする高等教育機関の不在による地方の衰退>
  • <社会課題:シルバーデモクラシーに象徴される若年層社会参画の困難さ>
  • <当事者の課題:地方の若者の居場所の脆弱さ、地方の若者のキャリア教育機会の希少さ>

大きく3つの課題意識をもってこのコミュニティ・カフェ EMANONという居場所を作って来ました。そのどれもが、政治・行政・社会との対話を抜きにしては、到底解決のできない問題です。目の前の高校生が抱えている困難さは、高校生をとりまく環境を作る社会・地域・大人が生み出したものです。それらは氷山の一角で、様々な偶然の積み重ねの先に、私たちの目の前に現れているに過ぎません。

対処療法でもいい、地方の小さな街から、それらの課題解決のモデルを作ることができれば、と考え、ただ目の前のことに取り組んできました。社会の多くの人たちがいつか、地方の高校生・若年層を取り巻く困難の除去こそ、社会全体をよりよい方向に導く最優先課題だと考えてくれる、その望みをもって目の前のことに取り組んで来ました。

そのように考えている私たちにとって、内堀県知事がこの小さな古民家カフェに足を運んでくださり、高校生の声に耳を傾けてくれたことの意味は、これからも未来の可能性を信じて、このチャレンジを続けて行こうとする勇気をいただいたことでした。

もう1つは、ある論文が単行本に掲載されたことです。

『包摂でデザインする平和な社会––ノルウェーからの学びを通じて』(鈴木庸裕編著『学校福祉とは何か』(ミネルヴァ書房)所収)と題したこの論文は、福島大学大学院の研究者兼ソーシャルワーカーであった沢田安代氏が執筆したものです。ノルウェーの子どもたちの姿と、それを守る福祉・教育制度を題材に、わたしたち大人が、平和な社会づくりに向けて包摂という概念をいかにして実践すべきか、を問いかけたものになっています。

この、社会と子ども・若者をめぐる論文の中で沢田氏は、次のように締めくくります。

"今という状態は偶然の結果であるが、今をどう生きるか、扱うかによって、次の偶然の結果たる未来は変えられるという視点をもつことが大事ではないだろうか。特に、子ども・若者に対しては、大人がアンテナの種類と方向性を子ども・若者が参加する社会という価値に根差したものに変換すること、また子ども・若者からの信号をキャッチしたら、改善のために行動することが重要である。これからどのような社会になるかは、大人が、包摂された社会の強さや幸せを、どれだけ信じられるかにかかっていると言えるだろう。”

沢田氏は、同著の著者紹介で「コミュニティ・カフェ EMANON ユースアドバイザー」という肩書きを記してくださり、この論文を執筆されました。白河実業高校とのひよっこプリンプロジェクトや、参議院選レビューをはじめとして、EMANONの目の前の高校生との実践的な取り組みを、ソーシャルワークにおける個別支援の例として理解し、支援してくださった最たる人物が、沢田氏です。

沢田論文が、その結語で志す”包摂された社会”と”その強さと幸せを信じる大人たち”の例として、EMANONを捉えてくださったことに、大きな勇気をもらいました。EMANONの高校生たちや、それを囲む地域の大人・大学生とも積極的に関わってくださった沢田氏が、このような形でその実践を社会に伝えるために筆をとってくださったことは、この春の大きな節目のひとつでした。

すべては偶然に過ぎず、その理由は文字通り神様にしかわからず、受け入れがたい事実ですが、この論文の収録された書籍の出版日のわずか1週間後、沢田氏は不意の病によって帰らぬ人となってしまいました。理論と実践、そして未来への希望を、それぞれ強く願い支援したソーシャルワーカーが福島にいたことが、これまでの積み重ねを勇気付ける、大きな節目の出来事でした。この文も、彼女へのお礼のひとつとして、返させていただければ嬉しいと思っています。若者と関わろうとするワーカーや実践者が、沢田論文を参照する機会があるように願っています。

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さて、コミュニティ・カフェ EMANONは、高校生びいきを掲げて、普段から営業を続けています。

いくつも、続けてきたことが、また次の新しい取り組みに姿を変えて、形になりました。特に、大人ではなく、高校生や、高校生だった大学生が、いくつも新しい取り組みに挑戦してくれたことがありがたいです。

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元高校生の鈴木萌さんが、進学した先で、宇都宮大学石井大一朗教授を紹介してくれました。EMANONを経験した高校生が、コミュニティやまちづくりを積極的に学ぼうとしていることが、とても嬉しいです。

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白河高校の鈴木朝登さんが、福島南高の小野さんと一緒に始めたOne Teens!というプロジェクトが生まれ、はじまりました。まだまだはじまったばかりですが、自ら行動する高校生が街にいる風景は、数年前まで考えられませんでした。(福島県の社会活動コンテストにもエントリーしました。)

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裏庭編集部と、彦根東高校の4年目になった交流事業を、白河出身でふたば未来学園2年生の渡辺美友さんが「私が大好きで大切なふたつの場所を繋げ」たいという想いで学びあるものにしてくれました。「地元である白河の子達が来てくれて考え」る機会、彦根東高の藤村先生曰く、「福島の取材をして7年になるけど、1番っていって良いほど濃い」取材、そのような時間を作ってくれたことに感謝です。

あまりに多くの高校生と、その高校生を支援しようとする人たちに恵まれ、すべてを振り返ることもできませんが、すべてのみなさんに等しくお礼を伝えたい気持ちに代わりはありません。

高校生と積極的に関わった湯澤魁・京野未来・戸澤佳美をはじめとする新しいスタッフ。

白河でゼミ合宿を企画・実施してくださった、法政大学メディア社会学部の藤代裕之教授と、藤代研究室メンバー、そのOBである沼能氏。

復興庁のインターンを通じて、地方の高校生の通学にまつわる困難さを調査した高田と、その支援をしていただいたNPO法人コースターのみなさま。

裏庭編集部の活動に参加してくださった高校生たちと、その支援をしていただいたi.clubの小川さん。

そしてもちろん、いつも支援をしてくださる鈴木和夫白河市長と、白河市企画政策課、そして市民・地域のみなさま。

まだまだ挙げてもキリがありませんが、本当に1年間、多大なるご支援ご協力を、ありがとうございました。

私たち自身も次の1年は、現在の地域社会の問題点と可能性に改めて向きあい、今以上に包摂の広がる、地方の若者・高校生が自由な価値観とチャレンジの機会を享受できる未来に向けて、新しい事業に取り組む所存です。

拙筆ゆえ、長い文になってしまいました。改めて、2018年中の関係者のみなさまのご協力に感謝いたします。また次の1年も、どうぞコミュニティ・カフェ EMANONをよろしくお願い申し上げます。

一般社団法人 未来の準備室 理事長 青砥和希

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福島県白河市/旧脇本陣柳屋旅館 蔵座敷で作品の写真撮影

白河出身、東京で服飾デザインの専門学校に通う学生ちゃんに「ポートフォリオつくるの手伝ってください!!」ってお願いされたので、カメラマンを買って出ました。

シャツやベロアのワンピースなど、普段ファッションの写真を撮ることはほとんどないので、私も楽しませてもらいました♪

今回の課題テーマは温故知新らしく、城下町白河で撮影したいとのこと。和風で綺麗な撮影場所がいいだろうと考えて、彼女には「旧脇本陣柳屋旅館 蔵座敷」をレコメンド。少しばかり空間をお借りして、スタジオのように使わせていただいて写真撮影してきました。そのレポートをします。

 

脇本陣柳屋旅館 蔵座敷での撮影例

書院造や和紙張りの壁、日本式の庭園などを使って写真をとりました。

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同じリズムの障子が背景として活用できます

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背景は床の間。白バックの壁もあります。

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北の方向に廊下があり、太陽光が差します

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和紙張りの壁のパターンは上品です

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廊下は板張りで、庭園に出られます

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日本庭園には松の木や灯篭も

脇本陣柳屋旅館 蔵座敷とは

白河市本町商店街の中にあります。この本町商店街は旧奥州街道沿いの宿場町で、江戸時代は宿や旅館が立ち並ぶ通りだったそう。現在は小規模な和装店や雑貨店、書店や文具店のある通りです。

その中でも脇本陣柳屋旅館は格式高い宿で、戊辰戦争期には、新撰組の幹部である斎藤一以下隊員が滞在したとか。政権が明治政府に移ってまだ間もない明治14年(1881)には、明治天皇の東北巡幸の際に明治天皇が宿泊した記録もあります。

現在、宿泊機能は失われ、復元された歴史的建造物として市民に公開されています。

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白河市ウェブサイトより引用 

月曜日をのぞく午前10時~午後4時には公開されており、貸切利用の場合には予約をすることも可能です。 使用目的などは規定がありますが、広い空間をお茶や演奏会に使っている方もいるようです。

詳しくは白河市公式ウェブサイトをチェックしてみてください。

あ、わずか徒歩10秒のところに

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コミュニティ・カフェ EMANON|福島県白河市のリノベーション公共施設

がありますので、こちらもよろしくお願いします!笑

 

西郷村 西ノ郷遊歩道 きのこコレクション

9月中旬、福島県西郷村にある西ノ郷遊歩道に行ってきました。

国道289号線から、雪割橋を渡った先にある遊歩道です。

雪割橋を渡ります

ちなみに雪割橋は阿武隈川の渓谷を渡る82mのアーチ鉄橋。橋上からの景色はなかなかの絶景です。

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きのこが大量に生えていました

秋雨前線や台風の多い9月、湿気のせいなのかきのこが大量に生えていました。

きのこフォトの趣味はないのですが、あまりにたくさん生えていたので、記録欲にほだされて写真を撮ってきました。図鑑も手元になかったので、名称も特にわかりませんが、一緒に眺めてみてください。名前がわかる方、教えてくれたら嬉しいです。

f:id:morgen3ed:20180916144357j:plainなめこっぽいやつ

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うっすらピンクがかったやつ

f:id:morgen3ed:20180916144742j:plain赤のグラデーション

f:id:morgen3ed:20180916144821j:plain小さな貝殻のよう

f:id:morgen3ed:20180916144944j:plain地面に落ちた金木犀みたいな

f:id:morgen3ed:20180916145011j:plain黒い

f:id:morgen3ed:20180916145044j:plain紫がかった黒

f:id:morgen3ed:20180916145232j:plain菌であること

f:id:morgen3ed:20180916145220j:plainバニラアイスクリームを掬ったようなやつ

f:id:morgen3ed:20180916145330j:plainきのこの山」っぽい。ちなみに私はきのこ派

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ツートーン

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毒キノコっぽい

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ラッパ状

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みかんの皮っぽい

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傘の大きさと脚の細さがおしゃれ!

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ひだひだ

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メローイエローみたいな色

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珊瑚っぽい

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中央、グリーンのきのこ

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破れの美しさがあるね

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渋い

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パンケーキかな?

遊歩道、楽しいよ!

ひたすらきのこの写真を撮っていましたが、西ノ郷遊歩道は、カジュアルに大自然を味わえる場所です。

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 栗も拾えるし

f:id:morgen3ed:20180916151257j:plain源流も楽しめるし(夏なら水遊びも)

f:id:morgen3ed:20180916151025j:plain滝もあります(これは一休みの滝)

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アイスクリームの売ってるおみやげやさんも。

www.nihon-kankou.or.jp

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カルミヤさんの椅子がもはやきのこに見えてきました。

地方と絶望について

きょうの日本のインターネットでは
”「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
知られざる「文化と教育の地域格差」 (阿部 幸大)”がバズっている。

gendai.ismedia.jp

阿部さんの議論には、共感する部分が多い。地方には絶望がある。都市との格差がある。大学、美術館、メディア、研究所、ベンチャー企業。およそ創造的なコミュニティと、地方で暮らす高校生が出会うことはない。僕ら地方に暮らす高校生に、”新しさらしきもの”を届けてくれるメディアは、イオンであり、マックであり、コンビニエンスストアだったのだ。紀伊国屋ブラウジングをすることも、相談に乗ってくれるちょっとした大学生チューターも、若いアーティストが実験的な展示をしているギャラリーも、放課後に立ち寄れる劇場も、僕らの世界には見えなかった。触れることもできなかった。

地方には地方の文化があると主張するのは簡単だ。わたしもそれを信じたい。しかし、あまりにこの国の地方が地方になって時間がたち過ぎた。僕らの生まれる前にはあったらしい、妙な蔵書のある喫茶店はドトールになり、古い商店街の歴史ある書店はTSUTAYAになるか、学校のワークブックの売りさばき所になった。

ぼくら地方のゆとり世代は、自意識のある時から便利なショッピングモールに囲まれている。たとえ地方暮らしでも、そこそこ便利なモールに。その街に暮らす者が、そこなしでは生活を考えられないくらいだ。しかしそこには、なにかを生む力はない。メニューやオペレーションはすべて、東京本社が考えている。それが最も利益を生む。

なにかを生み出したい者は東京へ向かい、現状を維持しようとするものが(意識的にせよ、無意識にせよ)そこに残る。

地方都市で働いているので、当事者性を孕むこの問題に、以上のような極端なモノの見方をするのはリスクがある。しかしそれでも、阿部さんの記事に共感してしまうのは、次の世代のために、私も働きたいと思っているからだ。

”教育における地域格差の帰結をあらためて言い換えれば、それは「同じ学力の子供が、田舎に住んでいるという理由だけで、都市に住んでいれば受けられたはずの教育の機会を奪われている」ということである。そして、「知っていたら大学に行っていた」人口は、間違いなく、かなりの数にのぼる。”

 

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 

”私が必要だと思うのは、こうした偶然性に翻弄される田舎の子供たちに、彼らが潜在的に持っている選択肢と権利とを想像させてやることであり、ひいては、東京をはじめとする都市部に住む人びとに、もうすこし田舎の実態を想像してもらうことである。”

 

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 

私はその絶望を次の世代に引き継ぐのではなく、地方のために、地方に生まれ落ちた子どものために、絶望を断ちたいと考えている。

しかし、それができる確証はいまだない。

 

総合計画審議会で考えた、「声の大きい人」について

 

今日は、声の大きい人というテーマでブログを書きます。

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gonda (@chikuwa090) | Twitter

声量じゃなくて、権力的な話で。 

対外的な、影響力の話です。政治家の方とか、名士の方とか、経営者の方とか。現代ならSNS上のインフルエンサーの皆さん?ともかく、世間での声の大きい人は、そんな感じのイメージですよね。
 
でも例えば、市区役所の出す文書や資料も、かなり影響力があります。人格はないけれど、かなり「声の大きい」存在です。行政文書が拠って立つ価値観や指向は、「今この街が目指している方向」や「この街を構成する人たちの考え」が反映されているはずです。

 

地方自治体の、総合計画審議委員。

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さて、12月から、福島県白河市の総合計画審議委員を仰せつかっています。すでに3回の議論の場があり、平成30年度以降5年間の白河市行政の総合計画を改善するための意見を話し合っています。

総合計画(そうごうけいかく)は、地方自治体が策定する自治体のすべての計画の基本となる、行政運営の総合的な指針となる計画

 

 

この総合計画、必ずしも策定する義務が地方自治体に課されている訳ではありません。また、策定改訂したから職員や首長に義務が生じる訳でもありません。この策定とその改訂作業を行うことは、それだけで体力のいる仕事。策定に取り組むだけで、向こう5年間も目標値を持った、計画的な行政運営をしようとする姿勢の表明とも取れます。えらい。

しかも、審議会という市民からの声を反映させてくれる場所まである。そんな貴重な機会を提供していただいたので、いくつかの意見を発言させていただきました。

印象に残った3つの提案。

ここで、自分自身で印象に残っている発言のうち、特に3つを書きだしてみます。 

  1. 教育における成果指標のうち、「不登校児童の割合の低下」を目指すことをやめて欲しい。
  2. 人権尊重の文脈で、「LGBT」に言及できないか。
  3. 結婚子育て支援の文脈で、賃金等の理由で結婚できない若年層に言及できないか。
①の提案は、この文書の影響力を考えたものです。この成果指標を基礎自治体が掲げることは、《不登校=悪/登校=善》という価値観を表明すること。不登校のあるなしに関わらず、市内に暮らすすべての児童が不安や恐怖などから逃れ、学び成長する権利があります。たとえ一時的でも、不登校を望む児童にとっては、学校空間が、不安や恐怖の源泉かもしれません。そのような状況にあってこの指標は、現場の教職員が愚直に指標を鑑みた先に、児童や家庭から「通わなくても良い」選択肢が奪われる事態が予想されます。言い換えれば、子どもの学び成長する権利を確保するという業務目的が、逆転しかねない成果指標です。政府も批准する、国連の条約にも適合的と考えます。

子どもたちは教育を受ける権利を持っています。また、休んだり遊んだりすること、様々な情報を得、自分の考えや信じることが守られることも、自分らしく成長するためにとても重要です。

子どもの権利条約 | ユニセフについて | 日本ユニセフ協会

②の提案も、この文書が市内外に配布されることを前提にした提案です。この文書はあくまで計画であって、文言が挿入されたからといって、積極的な政策が立案されるかどうかはわかりません。しかし、「この街は多様性を重視します」「たとえあなたが少数者であっても、この街はあなたを守ります」そういうメッセージを孕むことで、いや、孕むだけで、この街のどこかにいる誰かへ、助け舟になるかもしれない。そういう希望を込めました。渋谷区かっこいいよね。

東京都渋谷区が同性カップルに対し、結婚に準じる関係と認め「パートナーシップ証明」を発行する全国初の条例案が、3月31日の渋谷区議会本会議で可決、成立した

渋谷区の同性パートナー条例成立に「歴史的な一歩」「LGBT考えるきっかけに」

 
③の提案は、若者らしい提案として。「結婚っていいものだよ〜!」というメッセージを、政策や広告、あるいはコミュニティから、若者は受け取ります。それ自体は悪いこととは思いませんが、結婚できない(結婚しない)人が社会にいるのも事実です。結婚できない人にとっては、婚後や産後の支援メニューも、むなしく映るだけ。若年層の賃金はまだまだ低く、結婚したくてもできない人がいることは、同世代だからこそよくわかります。結婚の支援でもっとも多いリクエストは、多くの若者が安心して暮らせる就労環境への支援です。仕事とお金の不安が小さくなったその先に、結婚が見えてくる。結婚”できている”人だけへの支援では、少子化傾向は簡単には変わりません。
◎ 「少子化施策利用者意向調査の構築に向けた調査」 内閣府 2009年

●結婚に関する支援の要望としては、「支援は必要ない」(29.6%)が最も多く、次いで「就労支援」(21.4%)、「出会いの場の提供」(20.4%)の他、「働き方見直しのための支援」(19.6%)も多くなっています(2.4 結婚に関する支援, P82)。

第2号 | ワーク・ライフ・バランス| 内閣府男女共同参画局

 

 

やりとりの結果、①〜③のうち、すでに計画に反映させていただく予定のものとして③があります。子育て支援の文脈に、結婚の有無に関わらず働く若者たちの立場を見据えた文言(男女の若年層のワークライフバランスを推進すること)を挿入していただけるそうです。①②にどんなレスポンスが来るのかは、担当課からの返答まちです。
 

この世界の片隅で。

「声の大きな人」のひとつである行政という仮想人格。大きいからこそ、影響を受けるすべての人を想定して欲しい。人々から選択肢を奪うのではなく、選択肢を提示するものであって欲しいと思います。
 
同時に、私自身も「声の大きな人」として。今回審議委員に呼んでいただいたのはたまたま(というか若輩に末席を汚させていただいて恐縮)なのですが、それでも6万人の市民のうち、審議委員は10人にも満たない。声にできるチャンスのある人は、議論を起こすことが求められているように思います。
 
私が住みやすい街は、きっと次の誰かが住みやすい街。それは次の世代かもしれないし、次の移住者かもしれないです。声の大きな人は、小さな声を聞いて大きくしゃべろう。そんな気持ちの今日のブログでした。

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(うちのカフェの庭は最近こんな感じです)

”誰かに語られていた”場所/写真展感想:笹岡啓子 "SHORELINE" (2017年12月8日〜12月24日)

”語ることから避けられない”場所


私にとって、あまりにそこは語ることから避けられない場所だ。通り過ぎることができない。その場所に立ち、言葉を交わしてきたであろう幾多の人間の視線を、想起せざるを得ない。作業の進捗を確認する建設事業者、視察に訪れた政治家、戻ってきた住民、震災を機に訪れた観光客。「展望台」であるそこは、まなざし、語ることを私たちに指示してくる。

 

31 浜通り

 
SHORELINEと名付けられた写真シリーズ、何度目かの展示。通し番号31を付された写真展「浜通り」を新宿photographer's galleryにて鑑賞。
 
展示空間には、福島県楢葉町の、2012年、2014年、2017年、それぞれの時点での写真がある。楢葉町を横断して流れる木戸川の河口、太平洋に面した天神岬からの写真だ。どの時点でも、それぞれ3枚の写真をつなげて見せている。とても広い視野を持ったような感覚になる、パノラマメイクな写真。
 
以前からこのシリーズを好んで鑑賞していたのだけれど、今回特に筆を取ろうと思い立ったのは、私がこの場所をよく知っているからだ。福島県双葉郡にある楢葉町を訪ねる人は、誰しもがこの天神岬に一度は立ち寄るのではないか。海岸にそり立つ崖が岬をなしていて太平洋を一望でき、その後背地に広がる楢葉の町を眺めることもできる。岬の南側、堤防の内陸側は平野になっていて、水田や国道6号線、あるいは阿武隈高地の東端に広がる住宅地などを眺めることができる。
 
展示が、時系列順に左側から並べられているのは偶然ではないだろう。 2012年の8月まで、写真に写っている場所、そして撮影場所である天神岬は、福島第一原発から20km圏内の”警戒区域”として、例外をのぞき人の立ち入りが禁止されていた。写真に写る住宅に住む住民も、全員町外に避難していた。”警戒区域"の指定解除後も、"避難指示解除準備区域"として、住民への避難指示は2015年9月まで続いた。
 
(区域の指定と解除、名称の変遷などは複雑なので、福島県のページなどを参照されたい)
 
笹岡の写真は、太平洋から、平野部の水田、阿武隈高地麓の集落、その背景の山地までを収めている。水田や集落は、自然環境と人の営みとのつながりが立ち現れている空間そのものだ。
 
それらの空間は、誰かの住宅があり、誰かの生業の関わる場所であった。2012年の写真とそれに添えられた撮影日が、そこに誰も暮らしていないという事実を訴える。水田であったとわかる場所は、水稲ではない草木が生えている。隣の水田との境界線は、曖昧にぼやけている。
 
2014年になると、変化が訪れる。さらに水田は曖昧になり、写真の下部(おそらく展望台のある崖の斜面から生えている雑草)から伸びてくる草木が視界を遮る。人が干渉しないことで、植生の存在感が強くなり、時間の経過を伝える。一方で、水田の上には黒いフレコンバッグがその膨大な体積を主張している。放射性物質に汚染された住宅地などの表土をはぎとる、除染作業が楢葉町内で行われ、この天神岬の南側の水田に、その仮置き場が造成された。黒い立方体の土砂が、水田の上に積まれるという事態が、ここが福島県で、福島第一原子力発電所からほど近い被災地であるという情報を伝えてくる。
 
それはまた、人間の新しい営みのようにも見えてくる。除染作業は、人間が再びこの地に住もうという意思(ただし、それが元の住民のものではない可能性には留保する必要がある)を示しているようにも見える。
 
2017年の写真では、太平洋岸には新しい防波堤の姿が現れている。除染作業のバッグの数はさらに拡大する。この段階では、避難指示はすべて解除され、住民の帰還もはじまっている。従来の住民以外にも、原発廃炉作業に従事する職員も、相当数が居住しているはずだ。わかりづらいが、国道6号線の南側にひときわ目立つ建物、日本原子力機構の楢葉遠隔技術開発センターも見える。写真にはもちろん写っていないが、この撮影時点でカメラと三脚のあるこの撮影場所は、コンクリートで整地され、観光客を迎え入れる展望台として復旧されているはずだ。
 

”誰かに語られていた”場所

私にとって、あまりにそこは語ることから避けられない。通り過ぎることができない。いま、3枚のパノラマ写真の持つ情報を、ここに書き記したように。
 
しかし、にも関わらず、写真に写る砂浜に、水田に、あぜ道に、どんな名前があるか、私は知らない。
 
私は、その展望台を訪れた政治家や、その復旧作業に携わった職員の顔を思い浮かべることができる。そこが、警戒区域と呼ばれていたことを知っている。
 
ただ、その砂浜で犬と歩き、あるいは水田で稲を植え、あるいはあぜ道で駆ける誰かの名前、その姿や顔を、私は知らない。その砂浜が、誰がどんなふうに呼んだ場所であったのか、知らない。こんなにも、2011年以降のことを語ることができるにも関わらず。
 
写真が写している空間が、語らざるを得ない場所であること。そのことが私に突きつけたのは、そこが、”誰かに語られていた”はずの場所であることだった。
 
 
PARK CITY―笹岡啓子写真集

PARK CITY―笹岡啓子写真集

 

 

 

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